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オステオパシーの歴史

オステオパシーは、アンドリュー・テイラー・スティル先生が医師でありながら自分の子供を3人亡くしたことをきっかけに、その当時の投薬、水銀、瀉血などによる治療に疑問を抱き、何かが欠けているというと考えました。


また、幼少期に頭痛がした際に、ブランコ(当時のブランコは紐だけの簡単なもの)に頭を乗せていたらしばらく寝ていたら、その後頭痛がなくなっていたという経験もオステオパシーが作られたヒントになったと言われています。


そのような出来事から、スティル先生は、自然科学を集中的に学んだ結果、オステオパシーという医療体系を作り、1874年に発表されました。


しかし、ほかの医師からは猛反発をうけ、誰もスティル先生の考えに賛同する先生はいなかったそうです。


それでも、スティル先生は自分を信じ薬などに頼らず、マニュピレーション(整体)をして患者さんを治療しながら各地を回っていたそうです。


そして、アメリカ中西部・ミズーリ州カークスビル市に診療所を持つことになりました。


そこで治療を受けた方が、奇跡的な回復をみせると、その噂は広がりスティル先生の診療所に患者さんがたくさん押し寄せたそうです。


その当時、カークスビル市は田舎町で鉄道やホテルもない所だったそうですが、スティル先生の治療を受ける方が多くいるので鉄道、ホテルも出来るほど町は賑やかになったそうです。


オステオパシーのうわさを聞いて、もっと大きな町で開業しないかと誘われましたが、スティル先生は、義理堅く自分を認めてくれた場所であるカークスビル市を離れなれることはなかったそうです。


カークスビル市にオステオパシーの学校も作り、現在はアメリカだけでなく、世界中でオステオパシーが学べるようになっています。


私は、個人的にこのスティル先生の話が大好きです。


わたしが尊敬している人物でもあります。


スティル先生の事は、まだまだ、わからない逸話もあるようです。


スティル先生は、ご自身の書いた書籍に「耳垢について」約6ページにわたり書かれています。「人間に不必要なものはない」そんなことを130年前に考え自分なりの結論を出しているってわたしはすごいなと思います。


余談ですが、スティル先生が現代に生きていたら、この食の問題、環境汚染、オステオパシー教育など問題をどう考えるのかな?


そして、どんなことに興味を持つのだろうか?


そして、この問題にどうアプローチするのかな?

と考えながら、皆さんのお役に立てるよう日々取り組んでいます。


●本の紹介
・癒す心、治る力
・いのちの輝き


 

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